日本神話の起爆剤 モーセの六戒からのアプローチ
・日本神話の“起爆剤”
~モーセの“6戒”からのアプローチ~
はじめに
モーセの十戒は、天地を創造した神がイスラエルの民(ユダヤ人)に、モーゼを通じて伝えた十つの戒めです。この10つの戒めは大きく分けて3つの部分から成り立っているといえるでしょう。1戒から4戒までは神と人間の関係、5戒から7戒までは人間として最低限守らなくてはいけないこと、8戒から10戒までは、困難な状況の中で自らの欲望に負けてしまわぬためのもの、この3つの構成です。
ここで私は、5戒から10戒までの6つの戒め(対人関係についての部分)と日本神話との関連性を考察しました。日本神話では神様たちが、旧約聖書における6つのタブーを破ることが起爆剤となり、物語を次のステージへ突入させるための原動力になるのではないか、という考えです。ここでは日本神話への考察であるため“対人関係”ではなく、“神様同士”の関係への考察です。
私は、この論文で着目する第5戒から第10戒までで、その禁忌を破った神を次の表で示します。
| 内容 | 犯した神 |
第5戒 | あなたの父母を敬え。 | |
第6戒 | 殺してはならない。 | |
第7戒 | 姦淫してはならない。 | オホクニヌシ |
第8戒 | 盗んではならない。 | オオナムチ |
第9戒 | 隣人に対して偽証してはならない。 | (主導者として)オモイカネ・ウズメ・フトダマ・タヂカラオ・コヤネ・八百万神 |
第10戒 | 隣人の家や、妻を欲してはならない。 | アマテラス |
この論文では上の表で挙げた日本神話の神々が、旧約聖書における戒めをどのような行動で犯し、そして、その行動が物語にどのような影響を与えたのかを順を追って論じていきます。流れとしては、ストーリー概要→起爆剤としての役割と統一し、できる限りシンプルな形で進めていきます。また前提として、この論文での日本神話は古事記に準じています。
一学生の拙論ではありますが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。
第5戒.あなたの父母を敬え。
犯した神:スサノオ
日本神話の神々は、基本的に父母神を敬っているといえます。しかしながら、母を慕いながら父に背いた“不届きもの”が、日本神話には存在します。それは三貴神の一人、スサノオノミコトです。簡単なストーリーから見ていくことにしましょう。
≪ストーリー概要≫
イザナギが、黄泉の国から葦原中国に戻った際に行った禊で、アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴神が誕生しました。これまで産んできた、どの神様たちよりも別格に貴い神が産まれたことをイザナギは大いに喜び、アマテラスには天界を、ツクヨミには夜の国を、スサノオには海を、それぞれ治めるように命じました。
アマテラスとツクヨミが、天界と夜の国をうまく治める一方、スサノオは髭が胸に届くほどに成長しても海の国をしっかり治めずに、母であるイザナミに会いたいと毎日泣き喚くばかりです。黄泉の国の恐ろしさを経験しているイザナギは、スサノオのわがままを諌めますが、スサノオは言うことを聴きません。スサノオの態度に憤慨したイザナギはついに、スサノオを地上から追放してしまいます。
≪起爆剤としての役割≫
ここでスサノオは、直接の母ではないイザナミを慕い、実の父であるイザナギの命令に背きます。地上を追放されたスサノオは、姉であるアマテラスの元へ身を寄せるために高天原へ行きます。また、親としての務めを果たすことの出来なかったイザナギは、どこかへ姿を消し、隠居してしまいます。
スサノオがイザナギの命を背くことで、イザナギ・イザナミが主であった神話の第一章部分が終わりを迎えることを暗示していると思われます。スサノオのこの物語には、物語の主人公が移ることを示す役割があります。
第6戒.殺してはいけない。
「殺すために殺すのは、人間だけである」-とある人間は人間を殺します。それは歴史が物語っている事実です。旧約聖書の舞台となっている古代エジプトでは、政治的な圧政から多くの罪なき人々が処刑されました。また、支配下階級であるユダヤ人たちは生来奴隷として扱われ、あらゆる酷い仕打ちを受けます。そんな理不尽から抜け出すために、ユダヤ人たちは“約束された地”を目指して、およそ40年に渡る旅に出ます。この論文で取り上げているモーセの十戒は、その時に神から伝えられたものでした。しかしそれでも、とある人間は人間を殺すことを止めませんでした。そうして人間は知るのです、自らが罪多き存在であることに。
日本神話にも同様に、“神殺す神”が存在します。取り上げるのは、イザナギ・スサノオ・八十神(オホクニヌシの腹違いの兄神たち)です。筆者の勉強不足から、他"神殺す神”がいるかもしれません。そんな時は、こっそり教えて下さい。
・イザナギの場合
≪ストーリー概要≫
イザナギが殺してしまうのは、自分の子である火の神様ヒノカグツチです。妻であるイザナミが、カグツチを出産した際に陰部にやけどを負い、それがもとで亡くなりました。イザナギはカグツチを恨み、ついには殺してしまいます。
≪起爆剤としての役割≫
イザナギがカグツチを殺したことは、日本神話の起爆剤になりました。直下では関係がありませんが、その後のストーリー:国譲りの際に、このカグツチを殺したことによって生まれた雷の神タケミカヅチが、力で以ってオホクニヌシを説き伏せ、国譲りを達成します。イザナギのこの物語には、国譲りへの展開を生み出す役割があります。
・スサノオの場合
≪ストーリー概要≫
スサノオが殺してしまうのは、天上界の機織女と食物の神であるオオゲツヒメです。オオゲツヒメの殺害は、五穀(稲・あわ・小豆・麦・大豆)の起源とされていますが、物語の進展を考える上でより重要なのはむしろ、名もない機織女を殺害してしまったことでしょう。アマテラスとの誓約に勝利したことで暴走してしまったスサノオは、天上界で悪さばかりしました。しまいには、祭祀に用いる神聖な布を織る部屋に、皮をはいだ馬を投げ入れ、驚いた機織女の陰部に機織り機の道具が突き刺さり亡くなってしまうという事件を起こします。
≪起爆剤としての役割≫
この事件がもとで、アマテラスは激しく怒り、同時に憂鬱を以って天岩屋戸に閉じこもってしまいます。ここで、アマテラスは岩屋戸から出てくることで、更に神格の高い神様に生まれ変わらせる役割があると考察できます。
・八十神の場合
≪ストーリー概要≫
八十神が殺すのはオオナムチです。しかも2度にわたって執拗なまでの方法で殺害します。
1度目は焼いた巨石を用いて殺害します。ヤカミヒメという、美しい女神に求婚しに訪れた八十神は、荷物持ちの従者としてオオナムチを同行させます。同行といっても、荷物を持たない八十神は、八十神全員の荷物を持つオオナムチよりも足が速いです。オオナムチなど無視をして、八十神はどんどん先に行ってしまいます。大幅に遅れてやってきた、半ば奴隷のような姿のオオナムチを、ヤカミヒメは婚約相手に選びます。それほどに、オオナムチの性的な魅力は素晴らしいのです。このことに嫉妬した八十神はオオナムチの殺害を共謀。彼を騙し、熱した巨石をイノシシだと偽って、彼めがけ崖から落として殺害しました。
2度目の殺害は木の股を用いてです。カムムスビの助けを借りて蘇ったオオナムチの殺害を共謀。再びオオナムチを騙して呼び出し、裂いた木の股に挟み込んで殺害してしまいました。
≪起爆剤としての役割≫
この、八十神によるオオナムチの殺害が、どのように神話の起爆剤となったのでしょうか。私が着目するのは、八十神の“殺害方法”です。ここで、ヤカミヒメの元へ行くまでの道中で語られる、因幡の白兎の神話も加えて考えてみると、オオナムチがオホクニヌシになる前の神話には一貫したテーマがあると言えます。それは“皮を剥がす”ということです。“皮を剥がす”ことでオオナムチは、日本神話の中でダントツの性的魅力を持った、オホクニヌシになりえるのです。ここは少し長くなりますが、“皮を剝がす神話”が、なぜ必要だったのかを記述していきたいと思います。
まず因幡の白兎の神話をみていきましょう。ここでは、皮を剥がされるのは兎です。ワニを怒らせてしまった兎は、その報復に全身の皮を剥がされてしまいます。それをオオナムチは適切な方法によって治癒させます。余談ですが、古事記の中で、治癒以前の白兎は単に「白兎」と呼ばれていますが、治癒後は「兎神」となり、(自らに足りなかった)予言の力を手に入れます。ここでは、オオナムチが兎という他者の皮を治癒する、という形で“皮剥がし”が表現されています。
そして1度目の殺害。オオナムチの母神はひどく嘆き悲しみ、造化三神の一人であるカムムスビに相談しました。カムムスビは2柱の貝の女神(キサガイヒメとウムガイヒメ)を使いに送り、オオナムチを生き返らすことにしました。2柱の女神は、岩にこびり付いたオオナムチの死体をベリベリ剥がし、赤貝の粉とハマグリの出汁を混ぜた薬を、火傷を負ったオオナムチの全身に塗ったのです。この処置により、オオナムチは成人した姿で蘇ります。ここでは、オオナムチ自身の皮を、2柱の女神が治癒する、という形で“皮剥がし”が表現されています。
しかし、オオナムチが生き返ったことを知った八十神は、またもやオオナムチを殺害してしまいます。2度目の殺害です。オオナムチの母神はひどく嘆き悲しみ、木にこびり付いたオオナムチの死体をベリベリ剥がし、今度は自らの力によって彼を生き返らせます。ここでは、木の皮をオオナムチの母神が剥がし蘇生させる、という形で“皮剥がし”が表現されています。またも余談ですが、「お母さんよ、生き返すことができるなら最初からやればいいじゃないか。」-というツッコミを聞くことがよくあります。おそらくこれは、オオナムチの1度目の蘇生の後に、母神が身に着けたものだと思われます。そして、(自らに足りなかった)オオナムチを蘇生する力を手に入れます。
因幡の白兎といい、母神といい、どうやらオオナムチには、関わったものに足りなかった、秘めたる力を引き出してしまう能力があるようです(少し飛躍しすぎですかね?)。
さてさて、オオナムチの神話では、“皮を剥がす”場面が繰り返して3回行われます。日本神話は“3”という数字を好むようなので、筆者なりに“3回皮を剥がされた”意味を考察してみました。
オホクニヌシは様々な別名を持ちますが、中でも筆者が取り上げたいのは“ヤチホコノ神(八千矛神)”という異名です。この別名と“皮を剥がす”神話には、日本の男根崇拝があると筆者は考えています。個人差はありますが、通常男性は思春期を迎えると性器の皮が剥けはじめ、自然と亀頭が露出していきます。オオナムチは、1度目の殺害の後、2柱の貝の女神に蘇生されることで大人の姿になりました。ここでの2柱の女神は、明らかに女陰を表しているものと思われますが、その女神と関わりを持つことで大人の姿になったオオナムチからは、童貞を脱した男性の、精神的および身体的に熟した姿が想起させられます。
つまるところオオナムチの皮を剥がす神話は、スサノオの試練を乗り越えた後のオホクニヌシが、国作りをする際に多数の女神と婚姻関係を結び、百八十柱と呼ばれるほどの豊かな子宝に恵まれる程の絶倫であることを裏付けるものではないか、と筆者は考えているのです。日本神話きっての性的魅力を持つオホクニヌシは、全国各地の美女を求めて行脚します(筆者はこれを、全国絶倫行脚と名付けました!)。スサノオの子孫であるオホクニヌシは、本当は相当の武力を受け継いでいると思われますが、この絶倫行脚によって、平和的に国作りを進めていくことになります。
“皮剥がし”の物語は、オホクニヌシの平和的な国作りと大きな関連があるといえます。
この後の第7戒もオホクニヌシの神話と関わりが深いので、詳しくは次章で説明したいと思います。
第7戒.姦淫してはならない
犯した神:オオナムチ(オホクニヌシ)
現代日本では一夫一婦制が適用されているので、一夫多妻制が姦淫にあたるという解釈ができます。ただ日本神話の中では一夫多妻が認められているので、オホクニヌシの全国絶倫行脚は、決して悪いことではないと言えます。
少し姦淫の解釈がキッチリ固まっていないのですが、この論文では、『婚約前の男女が肉体関係を持つこと』『妻がいるにもかかわらず、複数の女性と肉体的な関係を持ってしまうこと』-この2つを姦淫であるとして論を進めていきたいと思います。
≪ストーリー概要≫
オホク二ヌシは、日本神話きっての性的魅力を持っている神様です。2度にわたり八十神に殺されたオオナムチは、スサノオに助けを求めるために、黄泉比良坂の先にある、根堅洲国を訪れました。しかしながら、オオナムチは玄関先で偶然出会ったスセリビメと、いきなり夫婦の契りを交わしてしまうのであります。
また国造りの際には、正妻にスセリビメがいるうえで、以前に婚約していたヤカミヒメと夫婦の契りをします。その後も、全国絶倫行脚の旅に出て各地の美女と契りを交わし、百八十柱とも呼ばれるほどの子宝に恵まれます。
≪起爆剤としての役割≫
前章でも触れましたが、この全国絶倫行脚によりオホクニヌシは、平和的に国造りを達成しました。アシハラシコヲ、ヤチホコノ神、ウツクシ二タマ神、オオモノヌシ、オホクニタマ、ウツクシ二タマ、イワオホカミなどなど…、オホク二ヌシの別名が数多くあるのは、全国的に名を轟かせた証であると考えられます。オホクニヌシは、農業・商業・医療などの神としても崇められていますが、これは行脚の際に伝え歩いたものだと思われます。平和的に、かつ文化の伝承をしながら国造りを進める、それはオホク二ヌシが絶倫で、数多の美女と姦淫をしなければ達成できないことであったと、筆者は考えています。
8.盗んではならない
犯した神:オオナムチ
さあ、またまたオオナムチの出番です。
私は、モーゼの6戒を犯す神が、日本神話の展開における起爆剤となっていると考え、この論を書いております。つまり、登場場面が多い神が、日本神話の中で重要な役割を果たすのではないか、と私は考えているわけです。そういう意味では、オオナムチもといオホクニヌシは、日本神話に必要不可欠な存在であると言えます。実際、大事な神様であるには間違いないのですが。
≪概要≫
オオナムチが盗みを犯した場面は、スサノオの最後の試練の後です。彼は、スセリビメを連れてスサノオの持ち物である『大刀』『弓矢』『琴』を盗みました。
『大刀』と『弓矢』は、明らかに武力の象徴であります。オオナムチはスサノオの6代孫にあたるので、スサノオ譲りの武の才能があると思えます。実際、スサノオの度重なる試練を乗り越え、国造りを開始する際に、武勇を以って八十神たちを成敗していくわけです。ここから伺える、オホクニヌシの武の才能は、お墨付きに優れていると言えます。
しかしながらオホクニヌシは、各地の美女と婚姻関係を結ぶことで、武力を誇示せず平和的に国造りを進めていきます。この、オホクニヌシの統治方法から推測するに、『琴』は文化と平和の象徴であると言えるのではないでしょうか。オホクニヌシが行脚をしていきながら、農業や商業、医療などを伝えていったのは前章で述べました。『琴』が表すのは、音楽から連想される文化的発展と、安心感を伴った平和だと、筆者は考えております。
前章の内容(平和的な国造り)のために必要なものを、オオナムチは“盗む”ことでスサノオから受け継いだのではないかと、筆者は考えています。
第9戒.他人に対して偽証してはならない
犯した神:(主導者として)オモイカネ・ウズメ・フトダマ・タヂカラオ・コヤネ・そして八百万神
≪ストーリー概要≫
日本神話の“大きなウソ”が発露するのは、いわゆる天野岩屋事件の時です。スサノオの粗暴な行いで、高天原の祭祀に用いる神聖な布を織る役職である、機織女が死んでしまった後、怒り憂えたアマテラスは天岩屋戸に隠れてしまいました。
アマテラスが天岩屋戸に隠れてしまったことで、太陽神を失ってしまった高天原と葦原中国は常夜に包まれてしまいます。そして、悪霊や悪神がウジャウジャと湧き出る事態となってしまいました。困り果てた八百万の神々は、オモイカネ・ウズメ・フトダマ・タヂカラオ・コヤネを中心メンバーに、『アマテラスを外に出そう大作戦』を実行します。オモイカネが考え抜いた作戦、それは、一世一代の『ストリップショー』でした。
大音量の、常世の長鳴鳥と八百万神の声援をバックに、コヤネが祝詞を唱えます。そして、ウズメが、その妖艶な身体を露出させながら踊ります。「何をしているの?」―岩戸の中に閉じ籠っているアマテラスは不思議に思い、少しだけ岩戸を開けて外の様子を伺いました。アマテラスの問いに対してウズメは、「あなた様よりも高貴で素晴らしい神様が現れたのですよ。だからこんなに、みんなで歓喜して騒いでいるのです。」と答えました。
コヤネとフトダマが鏡を差し出して、“アマテラスよりも高貴な神”を映し出します。アマテラスが一目見てみようと身を乗り出した瞬間、タヂカラオがアマテラスを引きずり出し、岩屋戸に注連縄を施して、中に戻れないようにしました。太陽神が戻った高天原と葦原中国には、再び光にもどりました。
≪起爆剤としての役割≫
八百万神が一丸となって参加し、ウズメのついた“大きなウソ”によってアマテラスが戻り、この世界に光が戻りました。これはまさに“ウソも方便”というやつです。
この天岩屋戸事件では、アマテラスを一旦岩の中に閉じ込め、再び生まれ変わらせたかったのではないか、という分析が主流となっているようです。筆者も、この意見に同調します。再び生まれ変わらせることで、スサノオとの誓約に敗北し、貶された最高神としての尊厳を回復させたかったのではないか、ということです。実際、この事件の後、すぐさま事の発端であるスサノオへ、処罰が言い下されるのです。そして、この後のアマテラスは、国譲りという大きなターニングポイントで活躍を見せます。この天岩屋戸事件は、アマテラスを更に神格の高い存在にするための物語である、と考えることができるでしょう。
第10戒.隣人の、家や妻を欲してはならない
犯した神:アマテラス
このモーセの第10戒は、実はとても長い文章だとのことです。『隣人の家や妻、男女の下僕、家畜などを、ことごとく無闇に欲してはならない』というのが正式なようで、結局のところ、『他人の財産を羨望し、貪ってはいけない』ということだと、筆者は解釈しております。これまで論じてきた第5戒から第9戒までの、すべての根源的な原因である人間の心の動きを最後の最後で諌めようとしている言葉のように思えます。そういう意味では、モーセの十戒の中で最も大切な教えと言えそうです。
さて、日本神話に登場する神の中では、最高神であるアマテラスが、この最高法規を破ったように筆者は考えています。それは、オホクニヌシの育てた葦原中つ国を、天つ神が治めようと画策する、国譲りの場面にみられると言っていいでしょう。
≪ストーリー概要≫
オホクニヌシが国づくりを進めて葦原中つ国を豊かにするのを、どうやらアマテラスは納得してはいなかったみたいです。なぜなら葦原中つ国は本来、両親であるイザナギ・イザナミが産んだものだから、天つ神が治めるべきだと考えていたからです。そして、オホクニヌシを説得して、葦原中つ国を譲ってもらおうと、決心するをするのです。
アマテラスは自身の息子であるオシホミミやホヒ、将来有望なワカヒコと、3度に渡って交渉を持ち掛けましたが、オホクニヌシの方が一枚上手で、オシホミミは退散、ホヒとワカヒコはオホクニヌシの側へ付くことになります。
ワカヒコの死をきっかけに思いを新たにしたアマテラスは、武勇に優れたタケミカヅチを遣って、オホクニヌシに国譲りを迫ります。第5戒で触れた、イザナギのカグツチ殺害時に誕生した神様です。タケミカヅチは、オホクニヌシ跡継ぎである2人の息子(コトシロヌシ・タケミナカタ)を制し、国譲りを達成します。
≪起爆剤としての役割≫
この物語の役割は、2つあると筆者は考えています。
一つ目は、国譲りの達成です。天孫二ニギがコノハナサクヤヒメと契りを結んだことで、アマテラス血筋の寿命が短くなったと言われますが、それでも二ニギの子ホオリは、580歳まで生きたと伝承されています。オホクニヌシがスサノオの6代孫なので、少なくとも数千年以上、アマテラスは葦原中つ国の統治を無視してきたわけです。それが、オホクニヌシが国造りをし、葦原中つ国がある程度発展した後で、アマテラスは国譲りを迫り達成したのです。これはつまるところ、アマテラスのオホクニヌシに対する“羨望と貪り”であると、言えると思います。
二つ目は、国譲りを達成したことで、アマテラスは主権者・オホクニヌシは生産者と、日本神話での役割をはっきり分けたことです。アマテラスがモーセの第10戒を犯したことにより、神話学者の吉田敦彦さんが考察する、日本神話の三機能(主権者:アマテラス・戦士:スサノオ・生産者:オホクニヌシ)が完成しました。そして、河合隼雄さんが考察する、日本神話の中空構造の大きなモデルとなるのだと、筆者は考えております。つまり、この三神が同時に登場することがなく、アマテラスとスサノオ(第6戒参照)・スサノオとオホクニヌシ(第8戒参照)・オホクニヌシとアマテラス(今章:第10戒参照)の二神での関わりの中において、三機能としての中空な物語が進むモデルです。
最高神の“わがまま”は、このように日本神話の大きな岐路と、三機能の中空構造を引き寄せた起爆剤になったのではないかと、筆者は思い至ります。
まとめ
この論文では、旧約聖書のタブーと、日本神話の神々の関わりについて考察してまいりました。モーセの十戒で示される禁忌を、日本神話では一部の神々が破っていくことで物語が大きく進んでいく―筆者はとても興味深い関わり方だと思います。ただ一方で、モーセの十戒での戒めは、私たちの日常生活では当然のように守られていることですし、古代日本でも当たり前の戒めであったと思われます。その当たり前が壊されることが起爆剤となって、全体のストーリーが大胆に動いていくのは、私たちの社会でも起こり得ると思います。特に第6戒:殺してはならないは、戦争の終らない人類の歴史で示され、時には自然が、災害という形で体現していることです。それを教訓に、新しい制度や考え方が出てくるという流れを考えると、日本神話の起爆剤は、大いに私たちと関係のあると言って過言ではないと思います。日本神話は私たちに、そんなメッセージを伝えているのかも知れません。
追伸
最後までお読みいただき、ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
私は、大学生になるまで地元の神話について無頓着だったのを恥ずかしく思い、今年の始めから少しずつ勉強してきました。勉強をしていくうちに、他の地域の神話との関連性が見えてきて、この論文では旧約聖書:モーセの十戒との関連を前述の通り示してまいりました。まだまだ勉強は始めたばかりですが、なかなか興味深い関連性だと考えております。また、この論文における日本神話は古事記に準じているので、他の文献と照らし合わせたときに、また新しい発見があるかもしれません。それも、これからの楽しみにして引き続き精進していきたいと思います。
この論文は、一学生の拙な論でありますゆえ、成り成りて成り合はざる処・成り成りて成り余れる処があると思います。皆様のアドバイスもお聞かせ頂けたら、今後の研究の励みになります。どんなことでもいいので、ぜひお聞かせください。よろしくお願いいたします。
参考文献
・吉田敦彦 「日本の神話」青土社
「日本神話の深層心理」青土社
・河合隼雄 「中空構造 日本の深層」 中公文庫